筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にご鎮座する一葉稲荷神社

神社由来  五穀豊穣、商売繁昌の神、稻倉魂命を祀る神社で、創建は約1900年前に遡ります。 境内には、地名の由来である、一本の葉からなる松があります。  当社はいわゆる”筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原”にご鎮座する神社で、初め江田神社境内の西方にあったのを、貞享年間(1684~88)に当地に移転遷座しました。  このころより境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをし、大に崇敬の念に加え、…

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阿波岐原に建つ全国2000余の住吉神社の元宮 住吉神社

主祭神 黄泉の国より逃げ帰った伊邪那岐命(イザナギノミコト)が禊払いをされた時に、水面・水中・水底で生まれた綿津見三神と住吉三神、汚れた垢から生まれた八十禍日神、穢れを流す神である神直毘神、大直毘神が主祭神として祀られています。    住吉三神   底筒之男神(ソコツツノオノカミ)、中筒之男神(ナカツツノオノカミ)、上筒之男神(ウハツツノオノカミ)  綿津見三神   底津…

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尾八重神楽発祥の地 湯之片神社の祭りと歴史

表表記タイトルの記事は尾八重神社の中武宮司が『みやざき民俗63号』に寄稿したものですが、尾八重神楽の開催もあと1週間後のこの時期に紹介させて頂きます。 Facebookでは、PDFファイルの添付が出来ないため、各ページを画像ファイルに変換して紹介します。 表紙 表紙(裏) 尾八重神楽発祥の地  湯之片神社の祭りと歴史   湯之片神社 湯之片神楽 …

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当時宇佐領であった大墓別符(大塚)に祀られた大塚神社(大塚八幡)

 創建は社蔵の棟札によれば、五十五代文徳天皇の齋衡年間(854~856)土持冠者左衛門尉景綱が、当時宇佐宮領であった大墓別符(大塚)に宇佐八幡を勧請し産土神として祀ったとあります。  文永元年(1264)飫肥藩祖藤原祐時により再興され、その後文禄二年(1593)、慶安元年(1648)、寬文七年(1667)、宝暦二年(1752)、安永九年(1780)、文化十二年(1815)、嘉永四年(185…

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古代律令時代の江田駅跡に照葉樹に覆われて建つ江田神社

 江田神社は、県道11号線(通称山崎街道)沿いを宮崎駅から15分程走ると、『フェニックス・リゾート』の西側、市民の森の中にあります。  江田神社は宮崎市の阿波岐原(アワキガハラ)という場所に建ち、ここは祈年祭などで「かけまくもかしこきイザナギノオオカミ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と神主が口上する祝詞の中に出てくる土地で「祝詞発祥の地」と云われています。    この辺りは古代の江…

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宮崎県立博物館 民家園「椎葉の民家前」での穂北神楽公演

1.穂北神楽とは    口伝伝承(クデンデンショウ)で伝えられてきた穂北神楽は、子文書などの資料が少なく何時頃どの様な形ではじまったかは定かではありません。  正徳二年(1712)元宮(モトミヤ)王宮社(オウキュウシャ)にて奉舞したという記録があり、さらに保有の神面(シンメン)に室町時代文亀(ブンキ)二年(1502)と墨書きのある、手名槌(テナヅチ)、足名槌(アシナヅチ)の面のあ…

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2月16日は旧暦では元旦 壱岐宇多守ゆかりの三社詣りへ

1.速開都比売神社  滝は、相変わらず素晴らしい光景ですが、  今日は梅が綺麗に開いています。 (参考ブログ)  速開比売神社と伊吹戸主神社へ  http://23871594.at.webry.info/201708/article_2.html 2.湯之片神社  国道219号線を進み、一つ瀬発電所脇の東稜トンネルを抜けてから右折し、『ひむ…

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白蛇の化身であった『お浪』と『龍神』を祀る寺 麟祥院 

西都市に大銀杏で有名で、『銀杏の木寺』と呼ばれてきた曹洞宗のお寺、 麟祥院があります。  1.宮崎の巨樹百撰にも選ばれた大銀杏 2.大浪池に伝わる『お浪』の伝説  鹿児島県の霧島山にある大浪池には、白蛇の化身であった“お浪”の伝説が残されています。 『お浪とは子宝に恵まれない夫婦が水神に祈願して授かった娘でした。 年を経てお浪が年頃になると、両親が知らぬ間に家を抜…

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古代以来の海洋信仰の聖地 鵜戸神宮

鵜戸神宮の歴史  創祀の年代は不詳ですが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に下記6柱の祭神を「六所権現」と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝えられています。 また、延暦元年(782年)、光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を…

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尾八重神楽編集後記 壱岐宇多守の足跡

尾八重神楽については前回のブログにて綴ったが、今回は西都市の歴史を考え直す意味から壱岐宇多守について再度取り上げます。    1.京から日向に下向した壱岐宇多守とは  壱岐宇多守は『鎮西西志麻壱岐、原一姓也、清和源氏より出ずる』とあり、日向国三宅に八十八町の知行を授かり国分の地に社人として迎えられたとされています。   壱岐宇多守は、現在の西都市妻萬(都萬)神社に社人として奉仕、易事に…

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限界集落で続けられる尾八重神楽の尾八重神社へ

1.所在地  西都市街地より西(西米良方面)へ向かい、杉安橋を渡って左折してからは、一ツ瀬川に沿って国道219号線を走り、一ツ瀬発電所脇の白石勘場トンネルを過ぎ、15番の東陵トンネルを出てすぐ右折し219号線からひむか神話街道に入ります。 (以前は15番から右折して入っていきましたが現在は通行止めとなっています。)   右折するとすぐ大椎葉トンネルがあり、トンネルを過ぎて500m程進むと…

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日向灘の干満に合わせて水位が上下する潮満玉の泉のある鹿野田神社

都於郡城から北西に約2km程の位置、都於郡の丘陵から下った平野部に鹿野田神社があります。 神社の由緒  鹿野田神社は、古くは「潮(ウシオ)妙現(ミョウゲン)大明神(ダイミョウジン)」と称し、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を祭神としており、享保11年(1726)社殿を再興した時の棟札から弘安(1278~1288)以前より勧請された古社であることが推測されます。 弘安6年(…

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日向の統治者が君臨した西都原台地南に位置する三宅神社

三宅の地名由来    古代屯倉が置かれていたことに因むと伝えられています。 三宅神社が位置するのは昭和27年に国の特別史跡に指定された西都原古墳群のある西都原台地の南端です。 又日向国造の始祖、豊国別王のような大首長が日向の統治者として君臨したところもおそらくこの三宅地域と考えられています。 三宅神社  三宅神社は、旧称を覆野(オオノウ)大神宮、福(覆)野八幡宮、覆神社と称し、建…

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速開都比売神社と伊吹戸主神社へ

1. 友人の兄の通夜式で  今月中旬に友達の兄が亡くなり、告別式はスケジュールが合わず通夜に参列しました。 通夜は近所の斎場で神式で行われました。 神道通夜の大祓詞で『速川乃瀨に座(マ)す神々の瀨織津比売(セオリツヒメ)の神、潮(シオ)の八百会(ヤホアイ)に座す速開都比売(ハヤアキツヒメ)の神、気吹戸(イブキド)に座す気吹戸主(イブキドヌシ)の神、根国(ネノクニ)、底国(ソコノクニ)に…

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西都原から遷った調殿神社

 西都原(注1)は以前は斎殿原と呼ばれており、これは天児屋根命を祀る斎殿(つきとの)神社からきた地名であるという説もあります。 これは調殿(つきとの)神社のことで都萬神社の約350m東北東にあります。    一の鳥居(明神鳥居)   天児屋根命は祝詞の神  天児屋根命は天照大御神が天岩戸にこもられた時に太玉命と共に卜占を行い祝詞を奏上しました。 その美しい祝詞のしらべに天照大御神…

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瀬織津姫の速川神社へ

 久しぶりに速川神社に行きました。 前回は高校受験直前に何人かの同級生と連れ立って一緒に合格祈願以来ですから50年ぶりです。 国道219号線(米良街道)を6km米良に向かうと旧JR妻線の杉安駅跡があり、更に100m進むと一つ瀬川の杉安橋があります。   合格祈願の際はJR妻線がありましたので杉安駅迄2両編成のディーゼル列車、杉安駅からは徒歩で杉安橋まで来て、橋の手前堤防を山沿いに(旧二軒橋…

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記紀の道⑦ 石貫(いしぬき)神社

 児湯の池から道路沿いに更に320m歩くと右側に石貫神社の第一鳥居が見えます。 古くは日能若宮又は石貫大明神と称されていました。 創建は天平5年(733)と伝えられ、一千有余年の社歴を有する古社です。 創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山?木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝えられています。   中世の往時には社殿、境…

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記紀の道① 都萬(つま)神社

当時は、邪馬台国に次ぐ大国 投馬国(ツマコク)の中心地であった  以前は妻万神社とも書き、地元では「さいまんさま」とも呼ばれ、ご祭神である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と結婚し3皇子を無事出産して育てられたことから、安産、縁結び、子育ての神として崇められており、最近若い女性の参拝者が増加しています。  創建は837年(承和4年)で官社に列せ…

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