記紀の道⑩ 女狭穂塚(めさほづか)と男狭穂塚(おさほづか)

 陵墓前の記念石碑 ◇ 女狭穂塚は九州で最大の前方後円墳です。 女狭穂塚は、墳長180m、高さ15mの規模を誇り、九州で最大の前方後円墳です。 ◇ 男狭穂塚は日本で最大の帆立貝形古墳です。 男狭穂塚は、墳長175m、高さ19mの規模を誇り、国内で最大の帆立貝形古墳です。 ◇ 御陵墓参考地として宮内庁が指定  古来から地元では可愛塚(エノヅカ)と称…

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記紀の道⑨ 鬼の窟(おにのいわや)

     案内板      土塁に囲まれた窟      石室入口      石室内部       ◇ 鬼が寝込んだすきに石を1枚抜き取り投げた父  鬼の窟屋はその名のとおり、近くの石貫神社とともに鬼伝説にもとづいており、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を嫁にと願う悪鬼の申し出を断り切れず、大山祇神が「一夜で窟をつくったら娘をやる」と言ったら、鬼は本当…

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記紀の道⑥ 児湯(こゆ)の池

 無戸室(ウツムロ)跡のすぐ近く(80m)に児湯(コユ)の池があります。  当時、この周辺は水のにごった沼地の多いところだったようですが、児湯の池だけはきれいな水が脇、近所の人は「洗ん子(アレンコ)」と呼んでいたそうです。 それは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に嫁がれた木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が出産された三皇子の産湯としてこの池の水を使われたことに由来しています。 …

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記紀の道⑤ 無戸室(うつむろ)

 逢初川から更に東に80m程北に歩くと一般道路に出ます。 そこから左に曲がり300m程歩くと右手に大きく枝を広げた欅の木があります。 無戸室(ウツムロ)跡です。 ◇ 妃に不倫疑惑  新婚生活のために建てられた八尋殿で最初の夜を過ごされましたが、一夜があけると瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は土賊征伐のため出かけられました。その後ミコトがお帰りになるとヒメは身ごもっており、…

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記紀の道④ 八尋殿(やひろでん)

◇ 尋は当時の長さの単位、丈は高さの単位でした  逢初川のすぐ近く(40m)に八尋殿(ヤヒロデン)跡があります。   瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が事勝神(コトカツカミ 注)の仲人によって結ばれ、二人の新婚生活のために建てられた御殿の跡といわれています。 当時は周囲に土塁も設けられていた様です。 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木…

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記紀の道③ 逢初(あいぞめ)川

 御舟塚から道路に沿って西に坂を上がると稚児が池があります。 稚児が池交差点に新たに整備された記紀の道遊歩道の入口があります。 御舟塚から逢初川までは1060m程度。  児湯の池から流れ出る小川で、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が散歩の途中に小川に水を汲みにきた木花之開耶媛命(コノハナサクヤヒメ)と初めて出会い、見初め、申し入れをされた場所と伝えられています。   細い流れですが、…

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記紀の道① 都萬(つま)神社

当時は、邪馬台国に次ぐ大国 投馬国(ツマコク)の中心地であった  以前は妻万神社とも書き、地元では「さいまんさま」とも呼ばれ、ご祭神である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と結婚し3皇子を無事出産して育てられたことから、安産、縁結び、子育ての神として崇められており、最近若い女性の参拝者が増加しています。  創建は837年(承和4年)で官社に列せ…

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