記紀の道 遊歩道の散策ガイド

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記紀の道遊歩道について
 記紀とは、日本で最古の文献と言われている古事記(712年)と日本書紀(720年)のことですが、古事記編纂1300年にあたる2012年記念事業として記紀に記載されている日向神話に登場する瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)にまつわる伝承地を一つのルート(都萬神社から西都原古墳群まで)結んだものを観光ルート「記紀の道」として整備された遊歩道です。(片道約4km 徒歩1時間30分)
(注) 都萬神社から御舟塚を経て稚児ケ池までは車道脇の歩道を歩き、八尋殿の先から石貫階段までは一般道路を歩くことになります。 車ではなく、あくまで徒歩で散策するための歩道となっております。 

1.都萬(ツマ)神社
 
 ご祭神である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と結婚し3皇子を無事出産して育てられたことから、安産、縁結び、子育ての神として祀られています。
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 http://23871594.at.webry.info/201204/article_3.html

2.御舟(ミフネ)塚

 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の一行が、海路で奥深い入り江であったこの地に到着し、舟が鎮まった場所と伝えられており、その時の舟が祀られているといわれています。
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 http://23871594.at.webry.info/201204/article_5.html

 途中立ち寄りのお勧め 

 ①日向国府跡

 国府は中央政庁のミニ版であり、建物配置には共通する画一的な構造が見られます。 国庁では、国司らが政務や儀式を行いました。 
 http://23871594.at.webry.info/201710/article_1.html

 ②長千代丸顕彰堂
 
 記紀の道 遊歩道入口脇に地元の人々が「稚児どんが池」(稚児殿)と呼ぶ溜(ため)池があり、ここに人柱を立てた説話が伝わっています。
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 http://23871594.at.webry.info/201704/article_4.html

地元のFBFでもある、黒木さんが作曲、Ochiaiさんが作詞の『白い睡蓮 花咲く頃に』稚児が池の長千代丸の民話を歌にしています。
 https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DXWmfmLVFoJM%26sns%3Dfb&h=ATOEgw9sxfCJMgF0f2cDYy2K98rHIIpwdFG0jB1vE1x4Vi1GYkhLu_otQ5ReNfax7qB6VqMA-7G7ntsf1-PZXhenX_7LldYGMZCsIfNR2jgNKEE2sgDJP6LblkT-QIN4-SwY5XHUbWslbz7WkD49

 記紀の道 遊歩道 入口:車止めが設置されています。
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 途中に設けられた休憩用のベンチ
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 ソーラーパネルを利用した夜間照明も整備されました。
 平成22年度九州グリーン電力基金助成設備を活用して、既に整備済の歩行者専用「記紀の道」遊歩道にソーラーパネルを利用した夜間照明が整備されました。
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 ③新たに設置された記紀の道標識

 2019年3月30日に『記紀の道』の題字は妻北小の児童が書いたもので5ヶ所に設置されています。 それぞれの標識裏面には採用された小学生の名前が裏面にも刻まれています。
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 ④稚児が池脇に設置してある休憩所と説明板

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 ⑤遊歩道脇に設置されたトイレ

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3.愛初(アイゾメ)川

 ①愛初川手前の標識と愛初ガーデン

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 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が散歩の途中に小川に水を汲みにきた木花之開耶媛命(コノハナサクヤヒメ)と初めて出会い、見初め、申し入れをされた場所と伝えられています。 説明板とは別にスタンプ台も設置してあります。
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 http://23871594.at.webry.info/201205/article_1.html

4.八尋殿(ヤヒロデン)

 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が事勝神(コトカツカミ 注)の仲人によって結ばれ、二人の新婚生活のために建てられた御殿の跡といわれています。
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 http://23871594.at.webry.info/201205/article_2.html

5.無戸室(ウツムロ)

 ①八尋殿から無戸室へ向かう途中の標識と遊歩道脇のベンチ

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 ②無戸室手前に新たに整備された公園

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 たった一夜で子供ができたことを瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)から不審に思われ、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)は「他の神の子(国津神)ならば無事には生まれません。 あなたの子(天津神)ならば無事に生まれます。」と言い、出産時に出入口のない産屋(無戸室)に入って火をつけ、炎の中で3人の子供を産み潔白を証明したそうです。
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 ③無戸室前の古代米プロジェクトが行われている水田

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6.児湯(コユ)の池

 児湯の池だけはきれいな水が涌き、近所の人は「洗ん子(アレンコ)」と呼んでいたそうです。 それは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に嫁がれた木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が出産された三皇子の産湯としてこの池の水を使われたことに由来しています。
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7.石貫(イシヌキ)神社

 全國山神總大社で、創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山?木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝えられています。 
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8.大山祇塚(オオヤマツミヅカ)

 石貫神社の西側には170段(注)もの石貫階段があり、ご祭神の大山祇命の御陵とされる大山祇塚のある第2古墳群へと続いています。 木花開耶姫命の父神の大山祇命の御陵と伝えられています。
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9.鬼の窟(オニノイワヤ)古墳
 
 鬼の窟屋はその名のとおり、近くの石貫神社とともに鬼伝説にもとづいており、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を嫁にと願う悪鬼の申し出を断り切れず、大山祇神が「一夜で窟をつくったら娘をやる」と言ったら、鬼は本当に一夜で建ててしまった。 困ったる大山祇神は鬼がうたた寝している間に天井石を一枚引き抜いて遠くに放り投げ「この窟は石が一つ欠けているので娘はやれない。」と断った。怒った鬼は大山祇神を恨んで様々な祟りをなしたそうです。 鬼の建てた窟は、恨みを以って死んだ鬼を祀った塚であると伝えられています。
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10.女狭穂塚(メサホヅカ)と男狭穂塚(オサホヅカ)

 西都原古墳群に存在する311の古墳の中枢となる男狭穂塚は瓊瓊杵尊(ニニギノミコ)、女狭穂塚古墳は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の御陵と言い伝えられてきました。 その後、明治時代になり、「日向三代陵は天皇家の祖先に関連がある」ということで、明治28年12月、御陵墓参考地(注)として宮内省の指定を受け、この両塚を含む98,700㎡の地域は、現在、宮内庁の管轄下にあります。
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西都原古墳群について

 西都原古墳群は、西都市の市街地西北に位置し西都原台地と呼ばれる丘陵に南北 4.2km、東西 2.6kmにわたる標高70mの地域に分布しています。 前方後円墳 31基、円墳 279基、方墳 1基をはじめ、地下式横穴墓や横穴墓もあり全部で 311基も存在する日本最大の古墳群です。 その中には陵墓参考地としての男狭穂塚、女狭穂塚も含まれています。
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