伊東氏が居城とした山城 都於郡城跡 ②二の丸・三の丸・西の城

 奥の城から二の丸へ    本丸跡・二の丸跡間の空堀跡 向かって左上が本丸跡、右上が二の丸跡です。 この空堀跡については、現在地よりも更に地下3~4m深く掘削されており、当時は13~14m、断面は[V]字に近い、かなり急峻な法面であったことが判明したそうです。     説明板     二の丸跡     説明板     二の丸土塁  …

続きを読む

伊東氏が居城とした山城 都於郡城跡 ①本丸・奥の城

1.都於郡城の歴史  伊東氏の歴史を詳しく述べた『日向紀』によると、伊東氏は藤原氏の出であると伝えられています。 藤原鎌足・不比等の子孫の為憲(タメノリ)が木工助に任じられ、その後、「藤と工」の字をとって工藤氏を称しました。 その後、為憲(タメノリ)の孫惟職(コレモト)は伊豆の宇佐美、伊藤、河津の三荘を領し、工藤を改め伊藤と称し、のちに伊東に改めました。 しかし、惟職(コレモト)のひ孫…

続きを読む

佐土原城跡 ②鶴松館(佐土原歴史資料館)

鶴松館    鶴松館は寛永年間の佐土原城二の丸を復元されたもので、大広間、書院、数寄屋(佐土原人形を展示)の三棟からなっています 1.日本庭園    北東側庭園    南側庭園    鶴松館玄関 2.鶴松館内部展示物 佐土原城資料 発掘調査関連展示品 …

続きを読む

南九州唯一の天守を持つ山城 佐土原城跡

1.佐土原城の歴史  1代目:田島伊東氏  鎌倉時代に工藤祐経(伊東祐経)が京から鎌倉へ下って頼朝に臣従し、祐茂を通して伊東父子亡き後の伊東荘を取り戻したと考えられれています。 祐経の子・祐時は伊東を名乗り、伊東氏を継承しました。 1252年に祐時の4男祐明が田島荘に、7男祐景が県荘、8男祐頼が諸県荘絹分(木脇)に下向、それぞれ、田島氏・門川氏・木脇氏の祖となりました。 当時の居館は古城…

続きを読む