阿波岐原に建つ全国2000余の住吉神社の元宮 住吉神社

主祭神 黄泉の国より逃げ帰った伊邪那岐命(イザナギノミコト)が禊払いをされた時に、水面・水中・水底で生まれた綿津見三神と住吉三神、汚れた垢から生まれた八十禍日神、穢れを流す神である神直毘神、大直毘神が主祭神として祀られています。    住吉三神   底筒之男神(ソコツツノオノカミ)、中筒之男神(ナカツツノオノカミ)、上筒之男神(ウハツツノオノカミ)  綿津見三神   底津…

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古代律令時代の江田駅跡に照葉樹に覆われて建つ江田神社

 江田神社は、県道11号線(通称山崎街道)沿いを宮崎駅から15分程走ると、『フェニックス・リゾート』の西側、市民の森の中にあります。  江田神社は宮崎市の阿波岐原(アワキガハラ)という場所に建ち、ここは祈年祭などで「かけまくもかしこきイザナギノオオカミ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と神主が口上する祝詞の中に出てくる土地で「祝詞発祥の地」と云われています。    この辺りは古代の江…

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記紀の道 遊歩道の散策ガイド

記紀の道遊歩道について  記紀とは、日本で最古の文献と言われている古事記(712年)と日本書紀(720年)のことですが、古事記編纂1300年にあたる2012年記念事業として記紀に記載されている日向神話に登場する瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)にまつわる伝承地を一つのルート(都萬神社から西都原古墳群まで)結んだものを観光ルート「記紀の道」として整備された遊歩…

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2月16日は旧暦では元旦 壱岐宇多守ゆかりの三社詣りへ

1.速開都比売神社  滝は、相変わらず素晴らしい光景ですが、  今日は梅が綺麗に開いています。 (参考ブログ)  速開比売神社と伊吹戸主神社へ  http://23871594.at.webry.info/201708/article_2.html 2.湯之片神社  国道219号線を進み、一つ瀬発電所脇の東稜トンネルを抜けてから右折し、『ひむ…

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白蛇の化身であった『お浪』と『龍神』を祀る寺 麟祥院 

西都市に大銀杏で有名で、『銀杏の木寺』と呼ばれてきた曹洞宗のお寺、 麟祥院があります。  1.宮崎の巨樹百撰にも選ばれた大銀杏 2.大浪池に伝わる『お浪』の伝説  鹿児島県の霧島山にある大浪池には、白蛇の化身であった“お浪”の伝説が残されています。 『お浪とは子宝に恵まれない夫婦が水神に祈願して授かった娘でした。 年を経てお浪が年頃になると、両親が知らぬ間に家を抜…

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本当の事勝塚は、172号 円墳でなく 173号 前方後円墳の方です

 先日のFacebookで、西都原寺原地区にある古墳、『事勝塚の説明板が根本から倒れており祠も老朽化が進みみすぼらしい。』との投稿があり現地で確認しました。 投稿された写真の一枚を頼りにGoogle Earthの航空写真で場所を特定すると先日の火災現場に隣接する古墳172号墳が『投稿で指摘されたところの事勝塚』であることが判明しました。 1.GoogleEarthで確認した古墳の位置と元に…

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山岳仏教の道場 長谷観音寺

   長谷観音寺   三納の中心地から北方3.2kmの山頂にあり、その御堂には十一面観世音と脇侍の聖観世音及び勢至菩薩像が安置されています。 (三納の商店街を通り抜け、T字路を右折して北方向:長谷方向に進みます。)      九州自然歩道を車で5分程度登ると右手に長谷観音入口に到着します。    入口に設置された『県指定 長谷観音像説明板』と『長谷観音緑地環境保全地域』の指定標識…

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郷土が生んだ江戸時代の国学者 児玉實満の墓地

 児玉實満は、1765年に西都市三宅の庄屋に生まれ、西都原周辺の山陵について研究考察した人物で1836年に亡くなりました。  古くから、西都原の台地が笠狭之御碕(カササノミサキ)と称されていたことを根拠に、この西都原古墳群こそが、『記・紀』にみえる笠狭碕(カササノミサキ)であることを同書によって提唱しています。    『記・紀』の伝承によると、日向の高千穂の峰に降臨した天孫瓊瓊杵尊(ニニギノ…

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尾八重神楽編集後記 壱岐宇多守の足跡

尾八重神楽については前回のブログにて綴ったが、今回は西都市の歴史を考え直す意味から壱岐宇多守について再度取り上げます。    1.京から日向に下向した壱岐宇多守とは  壱岐宇多守は『鎮西西志麻壱岐、原一姓也、清和源氏より出ずる』とあり、日向国三宅に八十八町の知行を授かり国分の地に社人として迎えられたとされています。   壱岐宇多守は、現在の西都市妻萬(都萬)神社に社人として奉仕、易事に…

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限界集落で続けられる尾八重神楽の尾八重神社へ

1.所在地  西都市街地より西(西米良方面)へ向かい、杉安橋を渡って左折してからは、一ツ瀬川に沿って国道219号線を走り、一ツ瀬発電所脇の白石勘場トンネルを過ぎ、15番の東陵トンネルを出てすぐ右折し219号線からひむか神話街道に入ります。 (以前は15番から右折して入っていきましたが現在は通行止めとなっています。)   右折するとすぐ大椎葉トンネルがあり、トンネルを過ぎて500m程進むと…

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日向灘の干満に合わせて水位が上下する潮満玉の泉のある鹿野田神社

都於郡城から北西に約2km程の位置、都於郡の丘陵から下った平野部に鹿野田神社があります。 神社の由緒  鹿野田神社は、古くは「潮(ウシオ)妙現(ミョウゲン)大明神(ダイミョウジン)」と称し、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)を祭神としており、享保11年(1726)社殿を再興した時の棟札から弘安(1278~1288)以前より勧請された古社であることが推測されます。 弘安6年(…

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伊東氏が居城とした山城 都於郡城跡 ②二の丸・三の丸・西の城

 奥の城から二の丸へ    本丸跡・二の丸跡間の空堀跡 向かって左上が本丸跡、右上が二の丸跡です。 この空堀跡については、現在地よりも更に地下3~4m深く掘削されており、当時は13~14m、断面は[V]字に近い、かなり急峻な法面であったことが判明したそうです。     説明板     二の丸跡     説明板     二の丸土塁  …

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伊東氏が居城とした山城 都於郡城跡 ①本丸・奥の城

1.都於郡城の歴史  伊東氏の歴史を詳しく述べた『日向紀』によると、伊東氏は藤原氏の出であると伝えられています。 藤原鎌足・不比等の子孫の為憲(タメノリ)が木工助に任じられ、その後、「藤と工」の字をとって工藤氏を称しました。 その後、為憲(タメノリ)の孫惟職(コレモト)は伊豆の宇佐美、伊藤、河津の三荘を領し、工藤を改め伊藤と称し、のちに伊東に改めました。 しかし、惟職(コレモト)のひ孫…

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律令時代日向の中心地 日向国府跡

 都萬神社(ツマジンジャ)と国道を挟んだ西側の寺崎地区は、西都原古墳群がある西都原台地の中段域にあり、市街地よりも5~10m高い標高20mの丘陵先端に位置します。 この中段域には国分寺、国分尼寺もありましたが古代律令時代の行政の府、国府もあったことが発掘調査で明らかになりました。 当時の丘陵上には、朱塗りの柱と重厚な瓦屋根の建物が並び、古代日向の中心地であったと思われます。   国…

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日向の統治者が君臨した西都原台地南に位置する三宅神社

三宅の地名由来    古代屯倉が置かれていたことに因むと伝えられています。 三宅神社が位置するのは昭和27年に国の特別史跡に指定された西都原古墳群のある西都原台地の南端です。 又日向国造の始祖、豊国別王のような大首長が日向の統治者として君臨したところもおそらくこの三宅地域と考えられています。 三宅神社  三宅神社は、旧称を覆野(オオノウ)大神宮、福(覆)野八幡宮、覆神社と称し、建…

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木喰上人の円熟期の作品 5体が展示されている木喰五智館

 木喰上人は、享保3(1718)年に甲斐(現山梨県)で生まれ、22歳から木喰修行をはじめ、以来70年近くの流浪生活を送ったといわれています。 此の地、日向国分寺には71歳のときに訪れ、地元住民に求められて国分寺住職になり、寛政9年(1797)4月までの9年間、三宅村に滞在しましたそうです。 国分寺が火災にあった際には、その再建に取り組み木喰彫像中最大作と言われる「五智如来座像」5体を完成させまし…

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速開都比売神社と伊吹戸主神社へ

1. 友人の兄の通夜式で  今月中旬に友達の兄が亡くなり、告別式はスケジュールが合わず通夜に参列しました。 通夜は近所の斎場で神式で行われました。 神道通夜の大祓詞で『速川乃瀨に座(マ)す神々の瀨織津比売(セオリツヒメ)の神、潮(シオ)の八百会(ヤホアイ)に座す速開都比売(ハヤアキツヒメ)の神、気吹戸(イブキド)に座す気吹戸主(イブキドヌシ)の神、根国(ネノクニ)、底国(ソコノクニ)に…

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記紀の道 大賀ハス開花 観察日記 2017

大賀ハスとは   大賀ハスは、1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)のこと。  植物学者でハスの権威者でもある大賀一郎(当時・関東学院大学非常勤講師)が発掘品の中にハスの果托があることを知り、19…

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2017年 西都原 高取山の三つ葉ツツジが見頃です。

1.高取山の躑躅(三つ葉ツツジ)  天気も快晴となったため、高取山のツツジを見に行きました。 車は前回同様に西都原考古博物館前駐車場に駐車。 先ずは駐車場からの眺め。      登山口      清水湧水口      登山道沿いの写真      頂上に設置されている展望台      展望台からの眺め 2.西都原考古…

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西都原から遷った調殿神社

 西都原(注1)は以前は斎殿原と呼ばれており、これは天児屋根命を祀る斎殿(つきとの)神社からきた地名であるという説もあります。 これは調殿(つきとの)神社のことで都萬神社の約350m東北東にあります。    一の鳥居(明神鳥居)   天児屋根命は祝詞の神  天児屋根命は天照大御神が天岩戸にこもられた時に太玉命と共に卜占を行い祝詞を奏上しました。 その美しい祝詞のしらべに天照大御神…

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2017年 西都原の桜は1週間遅れて開花

1.ご陵墓前:桜と菜の花  日本を代表する山と花は、富士山と桜ですが、いずれも木花咲耶姫伝説からきています。木花は桜を意味し、彼女の父親が天照大御神の兄神かつ日本民族の祖神で日本の山の神でありながら、海の神でもある大山祇神(オオヤマズミノカミ)。 木花之開耶媛命を娶ったのが、日向に天孫降臨した邇邇芸尊。  今年は桜の開花が1週間も遅れ、桜まつりが予定されていた期間(3月31日~4月7日)…

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2017年 西都原 高取山から初日の出を眺める

謹賀酉年  今年も、天候に恵まれ西都原に初日の出を見に行きました。 日出時刻は 7:15 1.高取山公園からの初日の出  県立西都原考古博物館北の駐車場に車を入れ、道路北側の丘を登って行ったところが高取山公園です。 2.第2古墳群からの日の出  第3古墳群から東南方向の第2古墳群方向からの日の出 3.第1古墳群からの日の出 …

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瀬織津姫の速川神社へ

 久しぶりに速川神社に行きました。 前回は高校受験直前に何人かの同級生と連れ立って一緒に合格祈願以来ですから50年ぶりです。 国道219号線(米良街道)を6km米良に向かうと旧JR妻線の杉安駅跡があり、更に100m進むと一つ瀬川の杉安橋があります。   合格祈願の際はJR妻線がありましたので杉安駅迄2両編成のディーゼル列車、杉安駅からは徒歩で杉安橋まで来て、橋の手前堤防を山沿いに(旧二軒橋…

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西都原古墳群について

1. 古墳の分布について 西都原古墳群は、西都市の市街地西北に位置し西都原台地と呼ばれる丘陵に南北 4.2km、東西 2.6kmにわたる標高70mの地域に分布しています。 前方後円墳 31基、円墳 279基、方墳 1基をはじめ、地下式横穴墓や横穴墓もあり全部で 311基も存在する日本最大の古墳群です。 その中には陵墓参考地としての男狭穂塚、女狭穂塚も含まれています。       …

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記紀の道⑩ 女狭穂塚(めさほづか)と男狭穂塚(おさほづか)

 陵墓前の記念石碑 ◇ 女狭穂塚は九州で最大の前方後円墳です。 女狭穂塚は、墳長180m、高さ15mの規模を誇り、九州で最大の前方後円墳です。 ◇ 男狭穂塚は日本で最大の帆立貝形古墳です。 男狭穂塚は、墳長175m、高さ19mの規模を誇り、国内で最大の帆立貝形古墳です。 ◇ 御陵墓参考地として宮内庁が指定  古来から地元では可愛塚(エノヅカ)と称…

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記紀の道⑨ 鬼の窟(おにのいわや)

     案内板      土塁に囲まれた窟      石室入口      石室内部       ◇ 鬼が寝込んだすきに石を1枚抜き取り投げた父  鬼の窟屋はその名のとおり、近くの石貫神社とともに鬼伝説にもとづいており、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を嫁にと願う悪鬼の申し出を断り切れず、大山祇神が「一夜で窟をつくったら娘をやる」と言ったら、鬼は本当…

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記紀の道⑧ 大山祇塚(おおやまつみづか)

170段(注)の階段  石貫神社の西側には170段(注)もの石貫階段があり、ご祭神の大山祇命の御陵とされる大山祇塚のある第2古墳群へと続いています。  西都原古墳群第2古墳群といわれる場所で登りついたところの右側に第90号墳大山祇塚があります。   大山祇塚は全長が96m、後円部径51m、同高さ7.1m、前方部幅31m、同高さ3.8mの柄鏡式前方後円墳です。 男狭穂塚、女狭…

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記紀の道⑦ 石貫(いしぬき)神社

 児湯の池から道路沿いに更に320m歩くと右側に石貫神社の第一鳥居が見えます。 古くは日能若宮又は石貫大明神と称されていました。 創建は天平5年(733)と伝えられ、一千有余年の社歴を有する古社です。 創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山?木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝えられています。   中世の往時には社殿、境…

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記紀の道⑥ 児湯(こゆ)の池

 無戸室(ウツムロ)跡のすぐ近く(80m)に児湯(コユ)の池があります。  当時、この周辺は水のにごった沼地の多いところだったようですが、児湯の池だけはきれいな水が脇、近所の人は「洗ん子(アレンコ)」と呼んでいたそうです。 それは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に嫁がれた木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)が出産された三皇子の産湯としてこの池の水を使われたことに由来しています。 …

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記紀の道⑤ 無戸室(うつむろ)

 逢初川から更に東に80m程北に歩くと一般道路に出ます。 そこから左に曲がり300m程歩くと右手に大きく枝を広げた欅の木があります。 無戸室(ウツムロ)跡です。 ◇ 妃に不倫疑惑  新婚生活のために建てられた八尋殿で最初の夜を過ごされましたが、一夜があけると瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は土賊征伐のため出かけられました。その後ミコトがお帰りになるとヒメは身ごもっており、…

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